支倉常長物語

伊達政宗の命を受け、慶長遣欧使節団としてヨーロッパに向かう常長。
その人生は、輝かしい一方でミステリアスでもあります…。

 

米沢市関の立石に生まれたと言われる支倉常長は、後に伊達政宗の家臣となり、武将として活躍しました。
1613年、仙台藩とスペインとの貿易交渉のため常長はサン・ファン・バウティスタ号に乗り、大西洋と太平洋を横断、スペイン国王とローマ法王に面会を果たしました。結果的に交渉はまとまらぬまま、失意の帰国となりましたが、支倉常長一行は、「日本人で初めて太平洋・大西洋の横断に成功し、初めてヨーロッパの国へ赴き外交交渉をする」という歴史的偉業を成し遂げたのです。

地図

慶長遣欧使節団の7年間の歩み

①1613年(慶長18年)10月、常長ら一行は一隻の西洋式帆船(ガレオン船)に乗り現在の石巻からスペインへ向け出帆。(常長42歳)太平洋を横断し、翌年1月にはメキシコのアカプルコに到着しました。

 

②一行はアカプルコから陸路でメキシコを横断。太西洋に出ると別の船に乗り換え、スペインへと向かいました。

 

③1614年、一行はついにスペインの首都マドリードに到着。スペイン国王のフェリペ三世に政宗からの親書を手渡し、翌年2月、常長はキリスト教の洗礼を受けました。

 

④1615年11月、常長はローマ法王に謁見。歓待を受け、公民権も与えられ、貴族にも列せられるほどの待遇でしたが、スペインとの貿易交渉は難航。日本国内では既にキリスト教禁止令が発せられていました。

 

⑤スペインとの貿易交渉を粘り強く続けた常長でしたが、1617年7月、帰国の途につきます。フィリピンのマニラ、長崎を経て、1620年(元和6年)9月仙台に帰り着きます。出発から7年が経っていました。(常長49歳)

 

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